中学生日記(前世紀)

kotohaya2007-10-19

来月、村上市内の中学校で、生徒の皆さんとその保護者の方々に向けて、南米での1年半の生活、そしてなぜ私が日本の反対側まで行くことになるのか、中学生だった頃の私の経験なども交えてお話をさせていただくことになりました。
先日、その打ち合わせのために、実際に中学校を訪れました。

比較的新しい校舎に入った途端、可愛らしい女子中学生に「こんにちは!」と元気に挨拶をしてもらいました。
彼女の澄んだ瞳を見た途端に、遠い前世紀の記憶が蘇りました。

中学校時代、私は団体行動しかできない女の子でした。
いつも誰かと一緒にいるのが当たり前で、仮に人と違うことをしたいと思っても、群から外れるのを恐れてためらいました。それでも毎日はそれなりに楽しく、またそれでいいと思っていました。
両親の離婚があったり、ちょっとしたいじめを体験したりと、悲しいことや不安を胸に抱えつつも、希望も持ち合わせていました。

そして、なんのために勉強するのか? と考え始めたのもこの頃でした。
大抵このような考えは勉強のあまりできない生徒が、「どうしてこんな点数を取ってくるの!」と母親に迫られたときに、「じゃあなんで勉強しなきゃいけないのか教えてよ!」と逆切れをして叫び返していたに過ぎないのですが。今考えると私にとっては勉強することの核心に迫る必要なステージだったと思っています。

英語はその中で最も苦手なものでした。外国人に出会ったこともないし、“外国”というものが本当に存在するのかすら疑問に思っていた私は、そもそも自分の小さい世界の中で起こっていることにしか興味を持つことができませんでした。「英語」という教科が存在している理由がさっぱりわからなかったのです。それを裏付けするように、英語を教えてくれる担任の先生は一度も外国に行ったことはなかったし、中学生の私から見ても英語を読むときは棒読みで、どうひいき目に見ても彼女自身が英語を教えることを楽しんでいるように見えませんでした。
宿題だけは毎日同じワークブックからたくさん出されたので、毎朝早めに学校に行って宿題をする・・・のではなく優等生のTさんに答を丸写しさせてもらっていました。

そんなお気楽に過ごしていた日々にも終わりがやってきました。
中学三年生の1学期に行われた三者面談で担任の先生に、「英語が成績を引っ張りすぎていて、このままじゃどの高校にも入れないでしょう」と恐ろしいことを言われたのです。

それから・・・と話は続くのですが、今私がここで語学教室を開いていることを不思議に思うと共に、紆余曲折ありましたが、何か起こるたびに自分なりに納得できる答を一つ一つ導き出して、違う考え方の人ともぶつかりながらも工夫をしてきたように思います。まさか外国には興味の全く無かった私がアメリカの大学や南米の大学に留学するとは夢にも思いませんでした。今でも小学校や中学校の友達に「何が転機だったの?」と聞かれるぐらいです。

中学生に、そして保護者の方々に私が伝えられることは何だろう?
どんなお話をさせていただくかおおよそ決めているものの、毎日自分に問いかけています。
私自身の経験は、他の誰かのものとは全く違うものです。誰一人として同じ道を歩いてはいません。
けれど、それでも何か私自身の体験、さまざまな影響を与えてくれる人との出会いから学んだことが誰かの心に響くかもしれない・・・私がそうだったように・・・と願いながらお話をさせていただこうと思います。